北出正之写真集「祭時記」 ~すばらしき三重の祭りと民俗行事~
 B5判 ヨコ型 160ページ ¥2,750-(税込) 
 発行 : 月兎舎 https://www.i-nagi.com/ 伊勢市馬瀬町638-3 ℡0596-35-0556
 販売 : 三重県内主要書店・楽天ブックス・Amazon・月兎舎ホームページなど
 三重県内各地を巡る700回に及ぶ取材活動で撮影した500件を超える祭礼行事の写真の数々から厳選した151点を収載する作品集

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北 勢

いなべ市

《大井田辨天祭》 いなべ市大安町大井田 御厨神明神社

文久3年(1863)に発生した干ばつの際に、庄屋の因善六郎が大井田用水を整備したことで干害を免れるようになった功績に感謝して水神様を祀る水取神事で、山車は「新車」「でんちゃん」「新車くずし」などの囃子に合わせて曳かれる。

2015822日撮影   2015822日撮影  2015822日撮影

2015822日撮影

 2015822日撮影

《笠田大溜弁天祭》 いなべ市員弁町笠田新田 大溜神明社

江戸時代に五代目桑名藩主 松平定綱公の命で新田開発が盛んに行なわれ、寛永年間の1630年代に灌漑用の「笠田大溜」を完成させ、豊穣をもたらした定綱公の威徳を讃える祭礼で、この用水を引く笠田新田と大泉新田の両神明社が合同で行なう。

 2013年9月23日撮影  2014年9月23日撮影  2014年9月23日撮影 2014年9月23日撮影  2014年9月23日撮影

《坂本曳山車行事》 いなべ市藤原町坂本 鳴谷神社

明治時代から続く伝統行事で、幅2m26cm・長さ4m72cm ・高さ5m50cm・、重さ5トンにも及ぶ長浜流の重厚な山車(市有形文化財)の階上では、「祇園囃子」「しやぎり」「山車おろし」の3曲の囃子(市無形文化財) が奏でられる。

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桑名市

《多度祭上げ馬神事》 桑名市多度町多度 多度大社

花笠武者姿(例祭前日は陣笠裃姿)の若者が人馬一体となって20m程の急坂と2m余の絶壁を駆け上がり、その成否によってその年の豊作・凶作や景気の良し悪しを占う。上げ馬のあとは神輿が肘江の御旅所 船着社に渡御し、須賀の馬場にて勇壮な流鏑馬が奉納される。

2012年5月4日撮影   2012年5月4日撮影 2012年5月4日撮影   2015年5月5日撮影  2015年5月5日撮影

《長島三町石取祭》 桑名市長島町西外面 稲荷阿岐波神社

明和3年(1776)、藩主増山候が西外面の稲荷神社を大手門東部に遷宮したが、その後、長島町萱町・中町・下町(三町)の産土神である秋葉社が合祀され、玉垣の敷石を毎年新しくするために町屋川から石を運んだとされる石取神事で、絢爛豪華な祭車が町を練る。

2013年7月27日撮影   2013年7月27日撮影  2013年7月27日撮影 2013年7月27日撮影   2013年7月27日撮影

《桑名石取祭》 桑名市本町 桑名宗社

神社の祭地を浄めるための清らかな石を奉納する行事で、鉦や太鼓を渾身の力で打ち鳴らす「日本一やかましい祭り」と言われ、40台に及ぶ豪華絢爛な石取祭車が曳き揃えられ、夕闇が迫る頃、一番くじを引いた花車を先頭に神社に参拝する「渡祭」で最高潮に達する。

 201384日撮影  201687日撮影 201687日撮影  201687日撮影   201687日撮影

《赤須賀石取御神事》 桑名市赤須賀 赤須賀神明社 

武家地であった鎮国守国神社の氏子区域を隔てているため、春日神社の石取祭とは別に赤須賀神明社の祭事として行われているもので、揖斐川河口にある漁業の町らしく漁師の気概と活気に満ち溢れた町内練りや渡祭で賑わう。

 2009年8月15日撮影 2009年8月15日撮影   2009年8月16日撮影 2009年8月16日撮影  2009年8月16日撮影

《長島八幡神社獅子舞》 桑名市長島町西外面 八幡神社

元禄12年(1699)に北島地区の氏子が、獅子頭二頭・天狗面二面・太刀一口を奉納したことが起源とされる。花舞では、獅子が柳の枝に吊された「さる」と呼ばれる野菜や俵などをかたどった飾り物を食べながら舞い、無病息災にご利益がある獅子が食べた縁起物として配られる。

 2018年9月16日撮影 2018年9月16日撮影  2014年9月15日撮影  2014年9月15日撮影   2018年9月16日撮影 

《内母神社石取祭》 桑名市多度町香取 内母神社

桑名石取祭の形式を取り入れながら、独自の祭礼として承継されてきたもので、多度川で採った栗石とともに祭車に飾られた桜の造花を神前に奉納するのが特徴とされ、香取・上之郷・東福永・西福永・平賀の氏子各地区から祭車が出る。

2013105日撮影  2013105日撮影   2013105日撮影 2013105日撮影   2013105日撮影

四日市市

《鏡餅供進祭》 四日市市生桑町 生桑長松神社

鏡宿と呼ばれる宮当番宅で調製される人型を象徴した5段構えの鏡餅に串柿とダイダイを乗せたもの左右一対を奉納する行事で、正月2日未明の神事に合わせて本殿に供えられ、神事が終わると切り分けられて参拝者に配られる。

 2017年1月2日撮影  2017年1月2日撮影 2017年1月2日撮影   2017年1月2日撮影  2017年1月2日撮影

《狐の嫁入り道中》 四日市市海山道町 海山道稲荷神社

「追儺の鬼はらい」として古くから伝わる厄祓行事で、神社の神使とされる福徳家の娘狐 福子が、神使の総本家である助四郎家の小狐 助太郎のもとへ嫁入りする花嫁道中を再現し、笛・太鼓の楽人等と共に行列をなして賑やかに練り歩く。

 2018年2.月3日撮影    2018年2.月3日撮影   2018年2.月3日撮影   2018年2.月3日撮影  2018年2.月3日撮影 

《六名町獅子舞》 四日市市山田町 加富神社

約250年前の宝暦年間に須賀神社(六名町)に奉納されたことに始まるとされ、明治末期の神社合祀令によって隣町の加富神社(山田町)に合祀されたことにより、現在は加富神社の春(祈念祭)・秋の祭礼日に六名町の保存会が獅子神楽を奉納している。

2018年3月9日撮影    2018年3月9日撮影  2018年3月9日撮影    2018年3月9日撮影  2018年3月9日撮影  

《東日野町獅子舞》 四日市市東日野町 神明神社

春・秋季例祭に五穀豊穣や病魔退散を祈念して東日野町獅子舞保存会により奉納される箕田流の獅子舞で、300年以上前から受け継がれているとされ、猿田彦が口取りを務める里神楽。舞いの中で子供の胴を噛む所作があるのは珍しい。

 2020年3月20日撮影 2020年3月20日撮影  2020年3月20日撮影  2020年3月20日撮影   2020年3月20日撮影

《富田一色けんか祭り》 四日市市富田一色町 飛鳥神社

町内の19町が北・中・南の3組に分かれ、直径1m重さ100kgもある鉦と長さ1m直径60cmの太鼓を担いで、“ヤ~ソレ・ヤ~ソレ”と威勢の良い掛け声と共に白装束の男衆が激しくぶつかり合う勇壮な祭りで、大念仏に類似するものとされる。

 2014815日撮影  2014815日撮影 2014815日撮影  2014815日撮影   2014815日撮影

《富田鯨船》 四日市市富田 鳥出神社

三重県北勢地方のみに伝わる全国的にも珍しい陸上の模擬捕鯨行事で、絢爛豪華な刺繍や彫刻の施された鯨船山車と、大漁や富貴の象徴に見立てた鯨との攻防が繰り広げられ、仕留めた鯨を神に奉納して豊穣を祈願する。

2014815日撮影   2014815日撮影   2014815日撮影    2014815日撮影  2014815日撮影

《水沢野田地蔵盆太鼓踊り》 四日市市水沢野田町 

踊り手は二人ずつ組になり、胸には大型の締め太鼓を首から吊し、手にバチを持つ。花笠を被り、揃いの浴衣に紅白の襷を掛け、襷のはしを背中に垂らして勇壮な太鼓踊りを演じて水子を供養し、子ども達の健やかな成長を祈る。

2014年8月24日撮影  2014年8月24日撮影  2014年8月24日撮影   2014年8月24日撮影  2014年8月24日撮影

《富士の巻狩り》 四日市市諏訪栄町 諏訪神社

源頼朝公が富士の裾野で催した巻狩りの猟を、体長5mにも及ぶ大猪などの仮装行列で再現し、諏訪神社の例大祭「四日市祭」で奉納される。勢子が法螺貝や銅鑼・太鼓を打ち鳴らし、猪・鹿・兎の造りものを子ども達が扮した頼朝公などの武者が追い、仕留めるという一大絵巻が繰り広げられる。

2011年10月2日撮影  2015年10月4日撮影 2015年10月4日撮影  2011年10月2日撮影   2011年10月2日撮影

《大入道》 四日市市諏訪栄町 諏訪神社

身の丈4.5m、首の長さ2.7m、頭までの高さ9mの大きさは日本一とされ、太鼓や銅鑼に合わせて6人で操るからくり人形付きの山車。元々は人を化かす狸の出没を鎮めるために桶の町の住民が制作したもので、例祭「四日市祭」の出し物として登場した。

 2015104日撮影 2015104日撮影   2015104日撮影  2015104日撮影

2015104日撮影

《浜田舞獅子》 四日市市諏訪栄町 諏訪神社

四日市市指定無形民俗文化財の登録名称としては「浜田大山車の舞獅子」とされているように、かつては「おおやま」と呼ばれた巨大な山車(戦火で焼失)の上で舞われていたとされ、口取りの鳥兜は楽人が着用するもので、太鼓が長胴の鋲打太鼓であるなどの特徴があるとされる。

 2010年10月2日撮影  2010年10月2日撮影 2013年10月6日撮影   2013年10月6日撮影  2013年10月6日撮影  

鈴鹿市

《下箕田獅子舞》 鈴鹿市下箕田 久々志彌神社

久々志彌神社の獅子舞で、鈴鹿「四山の獅子舞」の一つである箕田流の発祥地とされる。段猪舞・起し舞・扇舞・角扇舞・子獅子の舞・花の舞・段舞などの演目があり、漁協前では大漁旗を掲げて花の舞を奉納し、「箕田の暴れ獅子」と呼ばれる。

 2000年2月13日撮影  2000年2月13日撮影  2018年2月10日撮影  2018年2月10日撮影   2018年2月10日撮影

《濱田獅子舞》 鈴鹿市若松北 濱田神社

御鍬祭(2月)と五穀豊穣に感謝する10月に舞われ、流儀は箕田流で、神社で「御三家の舞い」を奉納した後、地区で祈祷舞いが行なわれ、だんちょう舞・とび獅子・舞い通し・大別れ・小別れ・置き扇・くわえ扇・隅み扇・かいならし等の演目がある。

 2018年10月14日撮影   2018年10月14日撮影  2018年10月14日撮影    2018年10月14日撮影  2019年2月10日撮影 

《馬の砂かけ》 鈴鹿市甲斐町 夜夫多神社

宮司が唱える御鍬目録に従って進行し、砂を敷いた境内を水田に見立て、田起こしから田植えまでの農耕の所作を再現して五穀豊穣を祈願する。菅笠姿の男が鍬で田を耕し、“田打ち、田打ち、馬をこしらえて、田をかいてもらいましょう”の言葉を合図に手綱に引かれた張り子の馬が登場する。卯の花の木でできた小さい鋤で馬に砂をかけるのは、代掻きをする馬が 土や水を跳ね上げる様子を表わすとされる。その後、早乙女姿の女児たちにより田植えが行なわれ、一連の所作を終える。

 2013年2月17日撮影  2013年2月17日撮影 2013年2月17日撮影  2013年2月17日撮影   2013年2月17日撮影

《天王山春祭り獅子舞》 鈴鹿市東玉垣町 須賀社

牛頭天王を祀る須賀社の例祭は、通称「天王さんの春祭り」と呼ばれ、獅子舞・唐人踊り・浦安の舞が奉納され、御輿の渡御が行われる。獅子舞では、口取りや後舞いなどの役回りは子ども達が担い、特に女児の活躍が著しい。

 2016年4月3日撮影  2016年4月3日撮影  2016年4月3日撮影  2016年4月3日撮影  2016年4月3日撮影

《寺家町獅子舞》 鈴鹿市寺家 比佐豆知神社

地区の春祭りで奉納される獅子舞で、しだれ桜が咲く子安観音寺境内での門舞で披露される親獅子・子獅子・孫獅子の合計6頭による舞いは見事。隣接する神社での奉納舞では、五穀豊穣などを願って「起し舞」など12種類を舞う。

2018年4月8日撮影  2018年4月8日撮影  2018年4月8日撮影  2018年4月8日撮影   2018年4月8日撮影

《椿宮獅子神御祈祷神事》 鈴鹿市山本町 椿大神社

約1300年前に始まり、丑・辰・未・戌年を舞年と定めて3年毎の巡舞作法を守りながら伝えられてきた日本最古の獅子舞。天狗の面に猿田彦大神、獅子頭に天之鈿女命の神霊が入神して舞うとされ、天狗が荒ぶる獅子を導く。

 2015年2月28日撮影 2018年4月12日撮影  2018年4月12日撮影  2015年2月28日撮影  2018年4月12日撮影 

《白子屋台行事》 鈴鹿市白子本町 勝速日神社

羅紗に刺繍を施した幕などで装飾された東町・西町・中町・山中町の4台の芸屋台で、鋲打ち大太鼓と篠笛の囃子を伴って曳かれる。懸装品は、見送り・中仕切りの幕・軒下の水引幕・一層四面に掛ける木綿幕で構成され、江戸末期の制作とされる。

 2013年4月14日撮影 2013年4月14日撮影   2013年4月14日撮影 2013年4月14日撮影   2013年4月14日撮影

《下大久保弁天祭》 鈴鹿市下大久保町 久間田神社

弁財天に水の恵みを祈願し感謝する踊りで、揃いの法被に紺の股引・草履を履き、直径63cm・長さ73cm・重さ20㎏の太鼓を首に掛け、放り上げるように首をひねって首の周りを一回転させながら横笛と法螺貝に合わせて勇壮に踊る、300年の歴史があるとされる雨乞い祭り。

2002年7月20日撮影   2016年7月17日撮影  2016年7月17日撮影 2016年7月17日撮影   2016年7月17日撮影

《稲生虫送り》 鈴鹿市稲生西 伊奈冨神社

起源は不詳だが太鼓の内部には弘化2年(1845)の表記があるとされる。“田の虫出てけ・出てかんと・焼いてくぞ”と掛け声をかけながら松明の火をかざして稲田を巡り、害虫を駆除するとともに、田の神に豊作の願いを込めて祈る。

 2013年7月24日撮影    2013年7月24日撮影   2013年7月24日撮影  2013年7月24日撮影   2013年7月24日撮影

《長太天王祭》 鈴鹿市長太旭町 飯野神社

3台の山車の屋根には、神の依り代とされる梵天(108個の提灯で飾られた長さ9mの竿)が立てられ、獅子舞は畳一枚程の狭い山車の上で笛や太鼓に合わせて勇壮に舞われ、あわや転落かと思わせるスリル満点の演技に喝采が起きる。

2018年8月4日撮影   2018年8月4日撮影 2018年8月4日撮影  2018年8月4日撮影  2018年8月4日撮影 

《一ノ宮中戸流舞神楽》 鈴鹿市一ノ宮町 都波岐奈加等神社

鈴鹿地域は古くから獅子舞が盛んで、「四山の獅子」と呼ばれた箕田流・山本流・中戸流・稲生流の四つの流派が伝承される。都波岐奈加等神社の獅子舞は、“中戸流”と呼ばれる雌雄二頭の獅子による舞で、四方拝・飛の尾・起し舞・扇の舞・花起し・花の舞がある。

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2018106日撮影

亀山市

《関宿祇園夏祭》 亀山市関町木崎 関神社

東海道五十三次47番目の宿場町「関宿」に、文化年間(江戸時代)から続く祇園祭で、夕刻から絢爛豪華な4台の山車が町内を練り歩く。ここの山車の特徴は、台車から上の部分が回転することで、桃燈に明かりを灯して「舞台回し」が始まると、祭りは最高潮に達します。

 2011年7月24日撮影    2011年7月24日撮影    2011年7月24日撮影   2011年7月24日撮影  2011年7月42日撮影

《木下虫送り》 亀山市木下町 西念寺

稲に付く害虫や人々を脅かす災いを追い出すため、麦藁を束ねた松明に火をつけて集落の外へ送る。百万遍数珠繰りの後、法螺貝の合図で僧侶が麦藁の松明に火を点すのは、盆の迎え火の意味もあるとされる。

2015年7月31日撮影   2015年7月31日撮影  2015年7月31日撮影 2015年7月31日撮影   2015年7月31日撮影

《加太板屋かんこ踊り》 亀山市加太板屋 浄専寺

江戸時代に滋賀県近江地方から伝わった雨乞い踊りを起源とし、大正時代から初盆供養の踊りとして継承される。御幣で飾った一文字笠を被り、羯鼓が胸の位置になるように紐を口で銜えるのが特徴で、「十役踊り」で最高潮に達する。

 2013年8月15日撮影   2013年8月15日撮影   2013年8月15日撮影   2013年8月15日撮影  2013年8月15日撮影 

川越町

《足上げ祭》 三重郡川越町高松 八幡神社

大きな締め太鼓と鉦が練り歩く町練りの後、夜の本練りでは子ども達が松明を担いで“シーシー”という掛け声で神社に向かい、青年達が境内中央の「しんばしら」の周りを火の点いた松明や太鼓を持って“エンヤトホラサ”の掛け声で練り回るもので、虫送りと盆行事が融合したとされる。

 2013年8月14日撮影  2013年8月14日撮影 2013年8月14日撮影   2013年8月14日撮影 2013年8月14日撮影 

東員町

《猪名部上げ馬》 員弁郡東員町北大社 猪名部神社

隣町の多度(多度大社)とともに全国で2か所のみで行われているとされる上げ馬神事。鎌倉時代に始まったと伝えられ、稲作の吉凶を占うもので、頭に花笠、背に矢箱の華麗な武者姿の青年騎手が、2m余りある急坂を人馬一体となって一気に駆け上がるもので、三重県無形民俗文化財に指定されている。

2014年4月6日撮影   2014年4月6日撮影  2014年4月6日撮影 2014年4月6日撮影  2014年4月6日撮影 

菰野町

《杉谷嘉例踊り》 三重郡菰野町杉谷 熊野神社

鈴鹿山麓の扇状地で水田の水不足に悩む一帯に伝承されてきた雨乞い踊り。胸に吊るした太鼓を打ち鳴らして悪魔を払い、法螺貝を吹いて霊を呼び雨水を乞うとされ、笛と鉦に合わせてゆったりと踊って豊作を祈願する。

2013年8月3日撮影   2013年8月3日撮影 2013年8月3日撮影   2013年8月3日撮影 2013年8月3日撮影

《僧兵まつり》 三重郡菰野町菰野 三嶽寺

武家政治の横暴に抵抗して武装し、織田信長と戦った天台宗三岳寺の僧(僧兵)たちを讃えたことに由来するとされ、重さ600㎏もの樽神輿に100本程の燃える松明を立てた「火炎神輿」を僧兵装束の男衆が担いで温泉街を練り歩く。

 2016年10月2日撮影  2016年10月2日撮影  2016年10月2日撮影 2016年10月2日撮影   2016年10月2日撮影

《廣幡神社秋祭り》 三重郡菰野町菰野 廣幡神社

寛永7年(1630)に初代菰野藩主 土方雄氏公が石清水八幡宮より勧請し、旧菰野地区の氏神・産土神社として長く信仰されている廣幡神社の祭礼で、「菰野藩祖土方公秋祭り」とも称し、広部御旅所には石取祭車や太鼓山車が引き出され街中を賑やかに巡行する。

2013年10月5日撮影    2013年10月5日撮影  2013年10月5日撮影   2013年10月5日撮影   2013年10月5日撮影 

中 勢

津市

《小野連合区獅子神楽》 津市白山町川口 白山比咩神社

起源は伝承される獅子刀の銘から室町時代にまで遡るとされ、大晦日の除夜の鐘が鳴る頃に神社で舞いを奉納し、元日早朝からの「門舞」で区内の百戸余りを二組で回ったあと、隔年の午後からは公民館で「寄せ舞」が披露される。

2009年1月1日撮影  2014年1月1日撮影  2014年1月1日撮影   2019年1月1日撮影  2020年1月1日撮影

《椋本獅子舞》 津市芸濃町椋本 椋本神社

樹齢1,500年を超える国の天然記念物「椋本の大椋」の太い枝が、明治初年の暴風雨で折れた際に、その枝で獅子頭が作られたことに由来するとされる獅子舞で、丑・辰・未・戌年の正月に奉納され、悪霊を退散させ、疾病を鎮め、家内安全を祈願する。

 2018年1月1日撮影  2018年1月1日撮影   2018年1月1日撮影   2021年1月3日撮影   2012年1月9日撮影

《馬場区獅子舞》 津市香良洲町馬場

伊勢神楽の獅子舞が伝承されたものとされ、獅子や天狗の面などにある「巴」の印が特徴。毎年1月1日は香良洲神社で初舞いを奉納してから地区内を門舞いで巡り、2日は馬場区民会館で本厄を迎える男性の厄払いをする。

2014年1月2日  2014年1月2日   2014年1月2日 2014年1月2日   2014年1月2日

《中野獅子舞》 津市一身田中野 大乃己所神社

大椿から33体の獅子頭を作り、各所の神社で舞うと疫病が治まったとされる「中野のおしっさん」。明和元甲申(1764)の銘がある獅子頭は見初大明神のご神体であり、3年毎の旧正月に家内安全や豊作を祈って、7曲の舞いを奉納する。

2015年2月7日撮影  2015年2月7日撮影   2015年2月7日撮影 2015年2月7日撮影   2015年2月7日撮影

《北黒田世だめし粥占い》 津市河芸町北黒田

室町時代の長享年間から500年余り続くとされ、初めに大般若経転読祈祷を行い、前日から早生・中生・晩生の印を付けた3本の細い竹筒を粥に入れて炊いたものを検分して、粥粒が最も多く入っていた竹筒によって田植えの時期や品種を占う。

2019年2月10日撮影  2019年2月10日撮影  2019年2月10日撮影   2019年2月10日撮影 2019年2月10日撮影 

《香良洲神社お木曳き行事》 津市香良洲町高砂 香良洲神社

伊勢神宮の式年遷宮と同様に20年毎に社殿が建て替えられる式年遷座で使われる御用材を、香良洲地内の9区の自治会が其々三本ずつを「お木曳き車」に載せ、「お木曳き音頭」に合わせて町内を練り歩く奉祝行事。

 2013年3月30日撮影  2013年3月30日撮影   2013年3月30日撮影   2013年3月31日撮影  2013年3月31日撮影 

《香良洲神社石搗き祭》 津市香良洲町高砂 香良洲神社

お木曳き行事に続いて行われる式年遷座の行事で、正殿や拝殿の柱を立てる十二箇所を地固めするもの。櫓を組み、音頭取りの木遣りに合わせて5m程の桧の丸太「御搗棒」を上下させる綱を引き、地面を叩いて搗き固める。

2013年6月2日撮影  2013年6月2日撮影   2013年6月2日撮影 2013年6月2日撮影   2013年6月2日撮影

《香良洲神社お白石持ち祭》 津市香良洲町高砂 香良洲神社

20年毎の式年還座に向けて、新本殿の敷地に「お白石」を敷き詰める行事。通常は立ち入りできない瑞垣御門内に入り、ヒノキ材を使い、美しい金具が施された真新しい社殿を拝観しながら、神々しい雰囲気の中で行われた。

2014年3月16日撮影   2014年3月16日撮影  2014年3月16日撮影 2014年3月16日撮影   2014年3月16日撮影

《馬場精霊踊り》 津市香良洲町馬場

町内4地区に伝わる350年の歴史がある太鼓踊りで、収穫を感謝し五穀豊穣を祈願して香良洲神社に奉納されることから「宮踊り」と称されるが、初盆を供養して祀る「精霊踊り」も各地区で行なわれ、古老の唄に合わせて宮踊りを経験した壮年が踊る。

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《野口御神楽》 津市一志町波瀬 波氐神社

江戸時代後期から伝わるとされる獅子舞で、神社の統廃合や戦争、後継者不足などで一時衰退したが、保存会が組織されて復活・承継され、地区の氏神である波氐神社の例大祭では、五穀豊穣や家内安全を祈願して「神来舞」などが奉納される。

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《ぞろ曳き》 津市芸濃町小野平

秋の満月の夜、高さ2m・巾1.8m、3段重ねの藁束で作った「ぞろ」を、子ども達を中心に地区の人たちが独特の数え歌とともに勢い良く曳いて、地域の繁栄や無病息災を祈る。

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松阪市

《黒野獅子舞》 松阪市嬉野黒野町 天玉神社

伊勢大神楽系の獅子舞で、悪魔を払い家内安全を祈る。元日の早朝より、初日の出を拝みながら神社の境内で剣の舞・四方の舞などの初舞いを奉納した後、地区の家々を廻る門舞いに出かけ、門付け・二方舞・四方舞・花舞などを舞う。

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《松崎浦獅子舞》 松阪市松崎浦町 松ヶ崎神社

正月三が日の行事で、神社で地域住民の安泰を祈願した後、町内を回って門舞を奉納する。起源は不詳だが、獅子頭には約400年前の年号の記載があり、過去に一度中断したが、その年に火事があってその後は途切れることなく継続されている。

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《美濃田粥だめし神事》 松阪市美濃田町 敏太神社

境内に5本の笹つきの竹を5角形になるように立て、弊を下げた注連縄で繋いで、神の来臨を仰ぐ神座を作る。水に米と竹筒3本を入れた鍋を藁を焼いて煮立て、竹筒に入った粥の具合を見て稲作の早稲・中稲・晩稲の出来ばえを占う。

 2018年2月4日撮影  2018年2月4日撮影  2018年2月4日撮影 2018年2月4日撮影   2018年2月4日撮影

《よいよい神事》 松阪市和屋町 畠田神社

7m余りの青竹に幣を付けた「オハゲ」を“ヨイヨイ”の掛け声で村境に送り、隣町の立田町・朝田町へと送る正月の予祝神事。25歳の厄男が担ぐオハゲ(厄を払うとされる)を先頭に、若者達が立利縄手を一気に駆け抜け、村境の田に斜めに刺して駆け戻り、出迎えた獅子と激しくもみ合う。

 2014年2月11日撮影 2014年2月11日撮影  2014年2月11日撮影   2014年2月11日撮影  2014年2月11日撮影

《てんてん》 松阪市飯南町粥見 粥見神社

鎌倉時代から伝わるとされる神事芸能で、天狗が草履を履き替えたり居眠りをしたりしながら階段をゆっくりと降りてくる所作は、導きの神である猿田彦大神が天から地上に降り立つ長い道中を表わし、神話の天孫降臨に由来するとされる。

 2012年3月25日撮影  2012年3月25日撮影  2016年3月27日撮影 2016年3月27日撮影  2016年3月27日撮影 

《甚目虫送り》 松阪市甚目町 手力男神社

松明を焚き、“ソ~リャ・ソ~リャ・キャルワイ”という掛け声に法螺貝や鉦・太鼓を打ち鳴らして畦道を進む。稲に付く害虫を退治し、人に付く悪霊を追い払おうとするもので、地元では「おんやれ」と呼ばれ、勇壮な太鼓踊りも奉納される。

  2016年7月10日撮影  2016年7月10日撮影    2008年7月13日撮影  2008年7月13日撮影  2016年7月10日撮影

《西野子踊り》 松阪市西野町

「鐘巻踊」の歌詞に安珍清姫悲恋物語が歌われているなど、道成寺(和歌山県日高町) の流れを汲む神事踊りとされ、大太鼓を中心に羯鼓(かんこ)を提げた大人とその外側に子供、外周に鳥追笠を被り采を持った大人が、雨乞いや豊作を祈願して踊る。

2014810日撮影   2014810日撮影  2014810日撮影  2014810日撮影  2014810日撮影

《松ヶ崎羯鼓踊り》 松阪市松崎浦町 松ヶ崎神社

漁業が盛んであった頃は豊年豊漁を祈願して元蛭子神社に奉祀されていたが、いつしか念仏踊りが残って初盆供養の踊りとなった。頭上に花笠、紺の法被に白い木綿で顔を覆った若者が、初盆の家の前で精霊を弔う踊りを繰り広げる。

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明和町

《中村安産祈祷相撲》 多気郡明和町中村 陽珠院

江戸時代に藩が相撲を禁止したところ、難産で亡くなる妊婦が続き、奉納相撲を行うと安産が続いた言い伝えから、安産祈祷相撲として受継がれるとされ、古式に則り半紙を半分に折って口に挟んで相撲を取る「紙相撲」や大関による弓取り式などが奉納される。

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伊 賀

伊賀市

《正月堂修正会大餅搗き行事》 伊賀市島ヶ原中村 観菩提寺正月堂

伊賀に春を呼ぶ行事として知られる観菩提寺正月堂の修正会に奉納する大餅を搗くもので、「節句之頭(せきのと)」と呼ばれる修正会に携わる講の一つ「元頭村」では、講員らが桜の木の千本杵で搗いた餅を“えとおっ”の掛け声とともに高く掲げる。

2018年2月9日撮影  2018年2月9日撮影   2018年2月9日撮影  2018年2月9日撮影  2018年2月9日撮影

《下柘植宮踊り》 伊賀市下柘植 日置神社

江戸時代から雨乞い祈願などのため踊られてきたもので、愛田区かっこ踊りとともに「日置神社の神事踊」として県無形民俗文化財に指定されている。踊り子はオチズイと呼ばれる花飾りを背負い、胸前に締め太鼓を付けて、鬼とともに2列縦隊で踊る。

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《春日神社子供相撲神事》 伊賀市川東 春日神社

『御旅所にて祭座七富家の幼児より七歳までの男子を以って奉納す』(春日神社由緒記より) とされ、健やかな成長を願い「すもう、すもう、すもうとろう」の掛け声とともに、振り上げられたり、顔を近づけ合って相撲を取る。

2013年4月16日撮影   2013年4月16日撮影 2013年4月16日撮影   2013年4月16日撮影  2013年4月16日撮影

《春日神社獅子神楽》 伊賀市川東 春日神社

平安時代中期に五畿内と伊賀・近江の国に疫病が流行した時、疫病退治の祈祷神楽を勤行し、2頭の獅子頭が寄進されたことに由来するとされる獅子神楽で、市の無形民俗文化財に指定されており、春・秋の例祭に奉納される。

 2013年4月16日撮影  2013年4月16日撮影  2013年4月16日撮影 2013年4月16日撮影   2013年4月16日撮影

《真木山神社能舞》 伊賀市槙山 真木山神社

文政5年(1822)に建立された茅葺の能舞台で、金春流の能楽師が「翁」などの仕舞を奉納する。大和国の能楽師が伊勢参宮に向かう途中、槙山の里で腹痛を起したが、真木山神社に回復を祈ったところ治癒したことの礼として能の奉納が始まったとされる。

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《大江かっこ踊り》 伊賀市馬場 陽夫多神社

伊賀市大江地区に伝承される羯鼓踊りで、江戸時代の寛永年間に雨乞いの踊りとして始まり、農作物の豊作を祈願して奉納されてきたものとされ、頭を山鳥の尾で飾って桜の花型を付けた「オチズイ」を背負って踊り、赤鬼・青鬼も登場する。

 2014年4月20日撮影  2014年4月20日撮影  2016年4月20日撮影  2016年4月20日撮影 2016年4月20日撮影 

《高倉神社夏祭り》 伊賀市西高倉 高倉神社

社殿は彫刻や色彩に桃山時代の華麗な美しさを残すのが特徴で、夏祭りには「花まき」と呼ばれる団扇取りがある。争奪した花や団扇などは疫病神除けとして家の門口などに飾られるが、伊賀や甲賀地方に特有の習俗とされる。

 2015年7月13日撮影 2015年7月13日撮影   2015年7月13日撮影 2015年7月13日撮影   2015年7月13日撮影

《祇園祭願之山行事》 伊賀市馬場 陽夫多神社

1年間に神社に寄せられた病気平癒や家内安全の願掛けを解く神事で、中世後期に流布した拍子物の特色を残すとされる「サンヨ-リ サンヨ-リ ゲニモサーニ」の囃し詞に合わせて、大太鼓3台を載せた四輪の台車に6本の幟を立てた曳山「願之山」を30人程で曳き回す。

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《山畑勝手神社神事踊》 伊賀市山畑 勝手神社

江戸時代中頃から伝わる風流踊りで、三重県内に多数ある太鼓踊りやカンコ踊りの中で雨乞系統の代表的なもの。胸につけた羯鼓を打ちながら、ゆったりと旋回するような動作で舞うと背負った「オチズイ」が優雅に美しく花のように開く。

 2017年10月8日撮影 2017年10月8日撮影  2017年10月8日撮影   2017年10月8日撮影 2017年10月8日撮影

《種生神社秋大祭渡御式》 伊賀市種生 種生神社

祭神である鹿島の神が船で渡御した様子を表わすとされる「渡御式」(おわたり)は、獅子神楽を先頭に、神輿・こたつき(帆を模した旗)・相撲旗・氏子の行列・船型山車が、御旅所までを3往復練り歩くもので、「こたつき渡御」と呼ばれて山間部の祭礼としては大変珍しい形態が伝承されている。

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名張市

《名張八日市蛭子祭》 名張市鍛冶町 蛭子神社

愛称「えべっさん」、名張の山の幸と伊勢湾の海の幸の交換市が立った名残りとされ、神社周辺の道路にはハマグリを売る露店が立ち並び、福娘が縁起物の吉兆(けっきょ)を授け、七福神が奉納舞をして商売繁盛を祈願する。

2014年2月7日撮影   2014年2月7日撮影  2014年2月7日撮影  2014年2月7日撮影  2014年2月7日撮影

《谷出区獅子神楽》 名張市平尾 宇流冨志禰神社

名張市西部の安部田地区(谷出)に伝わる獅子舞で、宇流冨志禰神社の春季例大祭で奉納されたもの。伊賀地区の獅子舞は、敢国神社(伊賀市一之宮)の獅子神楽をもとに多くが口承で伝えられたために、地区毎に独自の獅子舞に発展したとされる。

 2013年4月21日撮影  2013年4月21日撮影 2013年4月21日撮影   2013年4月21日撮影 2013年4月21日撮影 

《中山神社獅子神楽》 名張市薦生 中山神社

秋期例大祭に奉納される獅子神楽で、躍動的な舞いが特徴の周辺各地域の獅子舞の中にあって、基本に忠実な舞を伝承しているとされ、獅子踊り唄も奉納される。

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《丈六獅子神楽》 名張市赤目町丈六 八幡神社

秋季例祭の宵宮では、檀獅子神楽とともに二地区が一緒に舞うのが恒例になっており、御旅所の水神碑と神社で奉納舞を行なう。珍しい螺線状の神楽鈴を持ち、比較的ゆっくりとした舞いが美しく、小学生が演ずる天狗の演技も素晴らしい。

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《檀獅子神楽》 名張市赤目町丈六 八幡神社

丈六八幡神社は、赤目町丈六と檀の氏神で、秋季例祭では二地区から獅子舞が奉納される。先ず御旅所の水神碑で舞った後、神社の境内で奉納舞を行なうが、比較的動きが荒々しい檀と、静かな舞いの丈六の獅子とが並んで舞う姿が興味深い。

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伊勢志摩

伊勢市

《村松御頭神事》 伊勢市村松町 宇氣比神社

神社境内での舞始めは氏神への奉納舞で、この「六段」の舞は一年に一回ここだけで舞われる。境内を出ると「刀抜きの行事」で、エットー・エットーの掛け声とともに注連縄が切られる。辻舞でケガレや災いを祓い清めて廻り、篝火の灯りと提灯に囲まれ幻想的な雰囲気の中で舞う「五ツお起しの舞」は、最も印象的な場面。

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《磯町御頭神事》 伊勢市磯町 磯神社

神社での神事のあと、門前の通りで篝火を焚いて古式ゆかしく「七起こしの舞」が奉じられ、辻舞へと続く。社宝であり「磯のお頭さん」として大切にされている獅子頭は、格納箱に「元禄十丁丑日天子八王子 正月吉祥日」(元禄10年)との墨書がある。

 2020年2月9日撮影  2020年2月9日撮影 2020年2月9日撮影  2020年2月9日撮影   2020年2月9日撮影

《松下弓祭り》 伊勢市二見町松下

源平の合戦で敗れた平家の落人集落に伝わる「奉射式」で、大小4つの的、壱文的(一尺七寸)・弐文的(一尺五寸)・三文的(一尺三寸)・五十的(九寸)に弓を引いた後、この祭りの為に神様が滞在するとされる巻藁に奉射して終わる。

 2015年4月19日撮影  2015年4月19日撮影  2015年4月19日撮影 2015年4月19日撮影   2015年4月19日撮影

《ふろしき護摩》 伊勢市二見町江 太江寺

大きな数珠を回しながら般若心経を唱える百巻読誦行が行われるとともに、風呂敷の上に積み上げた護摩木を燃やした残り火を包んで肩や腰にあてがい健康を祈願する紫燈護摩が焚かれ、最後に薪のうえを素足で渡る火渡りとなる。

2013年4月29日撮影   2013年4月29日撮影  2013年4月29日撮影  2013年4月29日撮影 2013年4月29日撮影 

《郷中施》 伊勢市二見町江 竜宮社

江戸時代の寛政4年(1792)に津波が起こり壊滅的な被害を受けながら、隣人同士が助け合って災害を克服した。その犠牲者を供養するもので、舟に供える「キュウリ・ミル(海藻)・ナス・マツナ」は、「津波は急に来る、見るな、待つな」の教訓を表す。

2016年6月19日撮影   2016年6月19日撮影  2016年6月19日撮影  2016年6月19日撮影 2016年6月19日撮影 

《村松天王祭》 伊勢市村松町 亀池神社

亀池神社の祭神を御幣に移して山車に祀り、笛や太鼓と音頭の若衆が乗って町内に繰り出す。日暮れとともに提燈に灯が入り、夜遅くまで町内を練り回って五穀豊穣や家内安全を祈願する。

 2011年7月23日撮影  2011年7月23日撮影  2011年7月23日撮影 2011年7月23日撮影  2011年7月23日撮影 

《朝熊神送り》 伊勢市朝熊町

藁人形と紙垂の付いた笹竹と火の点いた松明を持って踊り場を何回も廻ったあと、鉦や太鼓・法螺貝の音とともに“貧乏神は皆行け~、いかれや~”と唱えて町外れに行き、笹や松明を燃やして、貧乏神を追い払う。

 2016925日撮影  2016925日撮影  2016925日撮影 2016925日撮影   2016925日撮影

鳥羽市

《相差荒獅子舞》 鳥羽市相差町 神明神社

450年の伝統があるとされ、山高帽の年寄りが『家に宝が波のように押し寄せる』ようにと“や~・ほ~・は~”の掛け声をかけ、町内の各戸を廻って舞う。一の鳥居から二の鳥居までの参道100m程を激しく舞いながら境内に入る夜の「練り込み」は圧巻。

 2014年1月5 日撮影  2014年1月5 日撮影 2014年1月5 日撮影   2014年1月5 日撮影  2019年1月5 日撮影

《鳥羽春祭神能楽》 鳥羽市鳥羽 賀多神社

賀多神社では、岩崎町・大里町・本町の三町による輪番制の当番町が中心になって子供狂言や仕舞を奉納する。同神社には三重県有形民俗文化財に指定された切妻造りで板葺き屋根の組立式能舞台があり、式年遷宮の年には境内に再現されて薪能が上演された。

2019年4月6日撮影  2019年4月6日撮影   2019年4月6日撮影 2015年10月18日撮影   2015年10月18日撮影

《鳥羽春祭神輿練り》 鳥羽市鳥羽 大山祇神社

大山祇神社の氏子4町のうち、藤之郷・中之郷・横町は輪番で獅子の一生を演じる「獅子と天狗の舞」を奉納し、明治初期に出来た錦町は神輿の練り込みを奉納する。神殿で御霊納めを受けた神輿は、境内で奉納宮練りを行った後、街に出る。

 2016年4月10日撮影 2016年4月10日撮影   2016年4月10日撮影  2016年4月10日撮影  2016年4月10日撮影

《しろんご祭》 鳥羽市菅島町 白髭神社

神域として一年を通じて禁漁区に指定され、この日のみ漁が許される白浜(しろんご浜)で、法螺貝の合図で白い磯着姿の海女たちが一斉に海に潜って鮑の初獲りを競い合う。最初に雌雄一対の「まねき鮑」を獲った海女が島の守り神「白髭大明神」に奉納し、その年の海女頭として崇められ、豊漁が約束されると伝わる。

 2014年7月12日撮影 2014年7月12日撮影  2014年7月12日撮影   2014年7月12日撮影 2014年7月12日撮影 

《坂手天王祭棒練り》 鳥羽市坂手町 若宮神社 

寛文年間(江戸前期)に流行した悪疫を鎮めるため尾張津島神社の分霊、牛頭天王を勧請したのに始まるとされる。山車の車輪に見立てて、両端に五色の飾りが付いた2m程の棒を回しながら路地を進むのは、路地が狭くて山車が通れない坂手島に特有の祭りとされる。

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《千賀しょうろさん送り》 鳥羽市千賀町

戦国時代に、九鬼嘉隆の支配を嫌って三河に移った千賀の豪族千賀志摩守を慕う住民が、一族の善政を偲んで始めたとされる。藁で作った馬での精霊送りは大変珍しく、地区の「西の山」で松明を焚き、線香を立てて祖霊を送る。

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《じんかん船》 鳥羽市菅島町 冷泉寺

竹や藁で作った長さ2m程の舟に12体の武者人形(閏年は13体)と小豆・もち米を乗せて先祖の霊を送るとともに、悪霊もいっしょに退散させようというもので、家々を巡ったのち、鉦や太鼓が叩かれる中、船で沖合いに運んで流す。

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《桃取オイヤレ》 鳥羽市桃取町

茄子の顔に目には隠元豆、唐辛子の鼻と鶏頭(花)の口の「でっころぼう」を家々の悪霊に見立ててオイヤレ舟に乗せ、盆に帰った先祖の霊に現世の病魔災厄を託して海に送る。集落を巡ったあと、“悪魔を乗せてゆくなり”という掛け声で港を出発し、沖に流される。

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志摩市

《安乗三番叟の舞》 志摩市阿児町安乗 安乗神社

神社の前浜である「ニワの浜」に神座を設け、正月の海に向かって、ご神体である三体の文楽人形「千歳」「翁」「三番叟」による舞を奉納して、天下太平や豊漁を祈願する。人形浄瑠璃「安乗人形芝居」の発端ともされる。

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《渡鹿野獅子舞》 志摩市磯部町渡鹿野 八重垣神社

新年を祝う獅子舞で、神社から始まり町内の辻などで舞った後、屋内に住民が集まり舞い納めをする。獅子は雌獅子で、舞い方は内股で優しく舞うとされ、笛や太鼓に合わせて豊漁や海上の安全、家内安全を祈願して舞いを奉納する。

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《坂崎神祭》 志摩市磯部町坂崎 宇氣比神社

弓引きでは祷屋が竹で作った手製の弓を引き、大きな笹竹を海水に漬けて振り撒いき場を清め、獅子は「茶碗のかけらもないやろか」と大口を開けて境内を一巡してお供えをねだるなど、ユーモラスな所作で和気藹々のうちに催される。

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《三ヶ所御棚祭》 志摩市磯部町三ヶ所

一年の始まりを告げる御棚祭は、海の神 龍神さんにお供えをして祀り、祭文を読み上げて玉串を奉納した後、松を海に投げ入れて沖に流し、“お~い・お~い”と唱えながら、こぶし大の石を投げて豊漁と海の安全を祈願する。

 2015年1月3日撮影  2015年1月3日撮影  2015年1月3日撮影  2015年1月3日撮影  2015年1月3日撮影

《注連切り神事》 志摩市阿児町安乗 安乗神社

八岐大蛇(やまたのおろち)退治の故事に由来するとされる正月納めの神事で、
大蛇に見立てた二本の大注連縄を、「加用」と呼ばれる若者が刀で断ち切り、観衆が太刀を振り下ろす数を数えつつ大漁や豊作・悪疫退散などを祈願する。

2011年1月10日撮影  2011年1月10日撮影   2011年1月10日撮影 2011年1月10日撮影   2011年1月10日撮影

《三ヶ所大日如来大祭》 志摩市磯部町三ヶ所 栖雲寺

人里離れた大日堂に安置される大日如来像を御座船に乗せ、大漁旗をなびかせた船団とともに的矢湾を巡って栖雲寺に迎え、大漁を祈願して法要が営まれる。なお、大日堂は2018年の台風により倒壊したため、大日如来像は栖雲寺に遷座されており、現在は御座船による迎えは行われていない。

2013年3月9日撮影  2013年3月9日撮影   2013年3月9日撮影  2013年3月9日撮影 2013年3月9日撮影 

《御座浦石仏地蔵尊例祭》 志摩市志摩町御座 石仏地蔵尊

潮が満ちると海中に隠れ、潮が引くと姿を現す自然石の地蔵尊で、「潮仏」と呼ばれて海女達からの信仰が厚い。御座地区の海女漁解禁日の前日に例祭が営まれ、僧侶が酒や洗米を蒔いて読経し、海女達が海の安全や豊漁を祈って焼香する。

2014年3月15日撮影  2014年3月15日撮影    2014年3月15日撮影  2014年3月15日撮影    2014年3月15日撮影 

《志島石経沈め》 志摩市阿児町志島 海蔵寺

浜で拾い集めた平石に般若心経の一文字ずつを墨書した「石経」を、浜に向かって設えた祭壇に、漁に使う綱や紐・手拭いなどとともに供え、僧侶による読経の後、海女達が波打ち際から海に向かって投げ入れて海の安全や豊漁を祈る。

 2013年3月18日撮影  2013年3月18日撮影 2013年3月18日撮影  2013年3月18日撮影  2013年3月18日撮影 

《伊雑宮御田植祭》 志摩市磯部町上之郷 伊雑宮

住吉大社(大阪府)・香取神宮(千葉県)とともに三大御田植祭の1つに数えられる「磯部の御神田(いそべのおみた)」。裸の男達が泥まみれで忌竹を奪い合う「竹取神事」から、白い着物に赤いたすきがけをした早乙女たちによる優雅な「御田植神事」へと場面は一転する。

 2015年6月24日撮影 2015年6月24日撮影  2015年6月24日撮影   2015年6月24日撮影 2015年6月24日撮影 

《潮かけ祭》 志摩市志摩町和具 八雲神社

伊勢神宮から授かったお札「万度」と祭主や神主を乗せた「まんどう船」を先頭に、大漁旗を掲げた漁船が漁民やその家族を乗せて大島へ向かい神事を行なった帰路、禊ぎの意味があるとされる海水の掛け合いが始まり、祭主が乗る「まんどう船」へ最初に潮を掛けると大漁をもたらすとされる。

 2014年6月27日撮影 2014年6月27日撮影   2014年6月27日撮影 2014年6月27日撮影   2014年6月27日撮影

《立神浅間祭》 志摩市阿児町立神 立石神社

立石浦の夫婦岩(立石)の傍らに立てられた大弊2本と小弊12本(閏年は13本)の奉納竹を立て換えるもので、弊立てが終わると横一列に並び、水や洗米・塩・紙垂・藁を背後の空に投げ上げ、“な~む・せんげんだいぼさつ”を唱えて五穀豊穣を祈願する。

2015年7月4日撮影  2015年7月4日撮影  2015年7月4日撮影   2015年7月4日撮影

 2015年7月4日撮影

《立神天王祭典》 志摩市阿児町立神 宇氣比神社

歌舞伎の三番叟の衣装に似た姿で、太鼓や三味線・謡いに合わせて扇子や色鮮やかな御幣を持った稚児が激しく舞うのが特徴で、肩衣袴姿で化粧をした男児が楽師として加わり、横笛(地謡を兼ねる)・三味線・小太鼓を務める。

 2012年7.月14日撮影  2012年7.月14日撮影 2012年7.月14日撮影  2012年7.月14日撮影   2012年7.月14日撮影

《わらじ祭》 志摩市大王町波切 波切神社

村を荒らす巨人ダンダラボッチに、縦2m余り、横1m余りで畳一枚程の大草鞋を造って見せ、怖がらせて退散させたという言い伝えによる祭りで、神社で稚児が“じ~じんざい・じ~じんざい・ひ~すの・は~すの”の祭文に合わせて曳く「わらじ曳き神事」の後、海上の安全と大漁を祈願して海に流す「わらじ流し」が行なわれる。

 2014910日撮影    2015919日撮影  2014910日撮影  2015919日撮影 2007915日撮影

《浜島神祭》 志摩市浜島町浜島 宇気比神社

神社の例大祭で、漁師町らしく船形神輿や「御船の山車」がお祓いを受けたのち、“エンヤ・エンヤ”と練り歩き、「浜島音頭」の踊り連が続いて、神の恵みと無事を感謝し、五穀豊穣・大漁・海上安全を祈願する。

  2016108日撮影   2016108日撮影   2016108日撮影  2016108日撮影   2016108日撮影

南伊勢町

《棚橋竈射場式》 度会郡南伊勢町棚橋竈

南伊勢町の沿岸部には、棚橋竈、栃木竈など「竈」の字がつく地域が八ケ竃(今は七ケ竃)あり、平家の末裔が住む竈方集落として文化を伝承しており、新年を祝う弓引きの射場式を行う竈方祭を開くなど、文化的なつながりを今日も持ち続ける。

 2017年1月2日撮影  2017年1月2日撮影  2017年1月2日撮影  2017年1月2日撮影 2017年1月2日撮影 

《伊勢路御獅子祭典》 度会郡南伊勢町伊勢路

室町時代の永享11年(1439)より「猪頭惣連中」という仲間を作って受け継がれており、子孫繁栄を祈願して「榊葉のうたひ」を斉唱した後、赤を基調とした衣装の天狗と「猪」と呼ばれる獅子が、各々単独で交代して舞い踊る。

 2012年2月5日撮影  2012年2月5日撮影  2012年2月5日撮影 2012年2月5日撮影   2012年2月5日撮影

《贄浦浅間祭》 度会郡南伊勢町贄浦 浅間神社

漁民会館で“散華・散華・六根清浄”を唱え、前浜では紙垂の付いた竹弊の周りを太鼓を叩きながら踊る。先導するのは長老の「樽持ち」で、柄杓を手にして肩に天秤棒を担ぎ流れるような仕草で踊る。山頂の祠では、“ノオマク サンマンダァ・・・”の祈祷文を八回ずつ唱える。

 2014622日撮影 2014622日撮影  2014622日撮影   2014622日撮影

 2014622日撮影

《方座浦浅間祭》 度会郡南伊勢町方座浦

宵宮では顔に化粧をした男衆が揃いの浴衣を着て踊り、本宮では扇で飾った竹幣が町内を練り歩いた後、標高160mの浅間神社に奉献するため、急峻で岩場の多い約1㎞の参道を白足袋で登り、頂上直下の急坂では先導者の掛け声で、祠をめざして一気に駆け登る。

 2011年7月1日撮影  2015年7月11日撮影 2015年7月11日撮影  2015年7月11日撮影   2015年7月11日撮影

《宿浦天王祭おいやれ》 度会郡南伊勢町宿浦

江戸時代末期に感染症が蔓延したのをきっかけに、無病息災や地区の発展を願って始まったとされ、“お~いやれ・おいやれ~、津島の浜へ、とっととゆかれ~”と囃して町内を回り、半紙でくるんだ小銭を供える。

2014年7月13日撮影   2014年7月13日撮影  2014年7月13日撮影 2014年7月13日撮影   2014年7月13日撮影

《船越天王祭典おやれ舟》 度会郡南伊勢町船越

麦藁で作った50㎝程の「オヤレ船」が無病息災を祈願して“オヤレ~・オヤレ~”と地区内を巡った後、大勢の住民に見送られて“津島の浜へ~”と唱えて海に流される。

  2015年7月18日撮影   2015年7月18日撮影  2015年7月18日撮影    2015年7月18日撮影  2015年7月18日撮影

《道方かんこ踊り》 度会郡南伊勢町道方

300年の歴史があるともされるが、起源は不詳。ホラ貝が鳴り響く中、シャグマ持・槍持・弓矢持・箱持奴が先導する練り物があり、鉢巻き・半襦袢・赤白タスキに腰ミノをつけた踊り手が、赤い房のついた竹の棒でカンコを打って踊る。

  2015815日撮影  2015815日撮影   2015815日撮影   2015815日撮影   2015815日撮影

度会町

《下久具御頭神事》 度会郡度会町下久具

御頭は「オサキ」と呼ばれる雌獅子で、宮川の対岸にある棚橋の雄獅子「ダイジョウ」と雌雄対をなしており、舞の中で“ダイジョウ・ダイジョウ”とその名を呼ぶ。天空から降り立ったように軽妙に舞う天狗との掛け合いも見事。

 2014年2月1日撮影  2014年2月1日撮影    2012年2月4日撮影  2012年2月4日撮 2012年2月4日撮

《棚橋御頭神事》 度会郡度会町棚橋

獅子頭は「大上(ダイジョウ)」と呼ばれる雄獅子で、「下久具御頭神事」の雌獅子「左京」と対を成す。昼の「座敷舞」と夜の「打ち舞」があり、天狗に先導されて獅子が登場し夜遅くまで舞い続け、悪魔退散・家内安全を祈願する。

 2019年2月9日撮影  2019年2月9日撮影  2012年2月11日撮影  2012年2月11日撮影 2012年2月11日撮影 

東 紀 州

尾鷲市

《九鬼神楽》 尾鷲市九鬼町 九木神社

神仏分離以前の複合的な予祝行事とされる九鬼の正月行事で舞われる船上神楽で、元日の夜明け前から鰤大敷網の船に獅子頭を乗せ、日の出とともに沖の定置網漁場や湾内を巡りながら新年を祝い、海の安全や豊漁を祈願して舞う。

  2011年1月1日撮影   2011年1月1日撮影   2011年1月1日撮影  2011年1月1日撮影    2011年1月1日撮影

《ギッチョ祭浜の祷》 尾鷲市古江町

豊漁豊作を願う祭りで、前夜から当屋宅で大きな桶の中に榊を敷いて祀った塩漬けの魚を捌いて振舞った後、幸福を結ぶとされるカズラを瓢箪型に束ね、山側と海側各3人が並んで2メートルの樫の棒で“ギッチョ・ホイ”と声を掛け合って放り上げる。

 2012年1月1日撮影 2012年1月1日撮影   2012年1月1日撮影  2012年1月1日撮影 2012年1月1日撮影 

《曽根精霊送り》 尾鷲市曽根町

初盆家の精霊送りの行事で、僧侶による読経の後、「極楽丸」と呼ばれる木製の精霊船に戒名や蝋燭・線香・花など供えて沖合いに運んで海に流し、初盆で迎えた故人の霊を送る。

 2014816日撮影  2014816日撮影    2014816日撮影  2014816日撮影  2014816日撮影

《八幡神社祭礼大名行列》 尾鷲市北浦町 八幡神社

旧街道を神社に向けて練り歩く大名行列では、白粉で化粧した男児が勇壮に「薙刀振り」を披露して喝采を浴び、尾鷲節や様々な歌謡曲に合わせて衣装や振り付けに趣向を凝らした道中手踊りが続いて、豊漁や豊作・海上安全を祈願する。

 2017918日撮影  2017918日撮影  2017918日撮影  2017918日撮影  2017918日撮影

熊野市

《お綱掛け神事》 熊野市有馬町 花窟神社

約10メートルの三旒の幡形の下部に季節の花々や扇子を結びつけたものを、日本一長いともいわれる170mに及ぶ大綱に吊し、一端を岩窟上45m程の高さの御神体に、もう一端を境内南隅の松の御神木にわたす神事で、2月は豊作を願い、10月は収穫を感謝する。

 2017年9月24日撮影  2013年2月2日撮影  2013年2月2日撮影    2013年2月2日撮影   2013年2月2日撮影

《神山ジャジャツク盆踊り》 熊野市飛鳥町神山 光福寺

名称の由来は「鐘や太鼓をジャンジャン突く」とか「ジャジャが鐘、ツクが太鼓の音」などとされる盆踊りの人寄せで、右手で持つ「シャマタ」と呼ばれる二股の打棒で釣鐘と太鼓を同時に鳴らし、左手の打ち棒「シュモク」で太鼓を叩いて独特の雰囲気を醸し出す。

2013816日撮影  2013816日撮影  2013816日撮影  2013816日撮影 

2013816日撮影

紀北町

《たいさば》 北牟婁郡紀北町長島

新しい年の豊漁を願う江戸時代からの風習が伝わる行事とされ、節分の夕刻、子供達が大きな袋を持ち、“鯛・鯖・売って~”(鯛さま売って)と声を掛けながら家々を回ってお菓子をねだるもので、振る舞いで悪を祓うとされる。

2015年2月3日撮影   2015年2月3日撮影 2015年2月3日撮影   2015年2月3日撮影  2015年2月3日撮影

《引本神社御造営御木曳》 北牟婁郡紀北町引本浦 引本神社

20年毎のご遷宮を迎え、老朽化が進む社殿の屋根の全面的な葺き替え工事に伴い、山から切り出したヒノキの御用材を運ぶお木曳行事。道中踊りを先頭に、随所で伊勢音頭を唄いながら引本の街を練り歩き、神社に曳き込んだ。

  2016年4月24日撮影   2016年4月24日撮影   2016年4月24日撮影  2016年4月24日撮影    2016年4月24日撮影

《船津田の虫おくり》 北牟婁郡紀北町船津

夕暮れ時、松明を手にした子ども達が、“田の虫送りじゃ~・田の虫出てけ~”と大声を上げながら畦道を練り歩き、田畑の害虫を焼き払って豊作を祈願する。船津と上里の両地区から出発し、合流して虫供養が行なわれる。

 2012年6月2日撮影    2012年6月2日撮影   2012年6月2日撮影  2012年6月2日撮影   2012年6月2日撮影

《きほく燈籠祭》 北牟婁郡紀北町長島

1928(昭和3)年、赤羽川の川開き行事で水難事故の供養と水難防止の願いを込めて、数百羽の都鳥型の燈籠を流したのが起源とされ、物故者供養の奉納花火と共演して、巨大な電飾燈籠を台船に乗せて港内を巡る。

2015年7月25日撮影   2015年7月25日撮影  2015年7月25日撮影  2015年7月25日撮影 2015年7月25日撮影